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    • 2015.08.11 Tuesday
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    三題噺 その1

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      本屋・化粧・天麩羅(三題噺)   出題・秋風亭てい朝
       
      商売もいろいろございますが、江戸時代の「本屋」といいますと、いわゆる貸し本屋のことだったそうで、本を売っているところといいますと「絵草子屋」といったそうです。書籍類だけでなく「浮世絵」だとか「錦絵」とかいうものが置いてありましてね。書籍類の専門店ができたのは、ずっと後の時代のようです。ですから落語の品川心中に出てくる本屋の金蔵ってのは、もちろん本を売っているお店を経営しているわけではなく、問屋といいますか、いろんな本をたくさん持っている親方のところから借り出してきまして、板の上に本を積み重ねて、大きな風呂敷に包んで、それを背負って得意先のところを回って、貸し賃を稼いだんだそうです。
      中には優秀な営業マンで、得意先が何百軒もあったり、大口のところがあったりで高所得の本屋もあったようですが、たいていは品川心中の金蔵のような半端な奴が多かったようでございまして、本屋が本業ではありますが、幇間兼便利屋みたいな連中が多かったようでございます。
       
      こういう連中のとりまとめをしていました親方というのは、たくさんの本を持っているわけですし、手下の連中を大勢取り仕切るわけですから、それなりの財産とか人望とかも必要だったようです。
      ある本屋の親方が、この人は根は大変に良い人なんですが、悪い奴に誘われて博打にこりまして大変な借金ができちゃった。借金の返済は、本を処分すれば何とかなりそうだったんですが、下職の本屋たちに迷惑がかかるといけないというので、なんと自分の、実の娘で12歳になる「お浜」という娘を売り飛ばしちゃった。いくらそういう時代とはいえ、ひどい話があったもんでございます。
      この娘は大変に利発な娘で、器量も良く、ものすごく可愛い娘だったそうです。まったく江戸っ子の価値観なんてのは理解に苦しむもんでございましてね、義理を重んじるのもいい加減にしてもらいたいと思いますなぁ、自分の娘を売り飛ばすなんて、只今では考えられないことでありまして、明らかな憲法違反、人身売買は言うまでもなく重大な犯罪行為でございます。
       
      洋の東西を問わず、人買い家業というものはあったようでございまして、いわゆるバイヤーとかブローカーがいましてね、人間を買ってきて、たとえば20両で買ってきたら、40両で売る。また、この買った人が別なところへ売るときは80両で売る。それを160両・・・「にいよんぱぁいちろくざんにい」・・・だから人身 倍・倍 というようなったってことをききましたが、
      売られていく人は・・・「バイバイ」って言ったりなんかしまして・・・・
       
      この娘、大変に器量も良く、頭も良かったので、いわゆる「上玉」というやつですね。どういうルートで行ったのかわかりませんが、20歳の時には大阪で「海老奴」という芸者になっておりました。この芸者「海老奴」と、ふとしたきっかけで深い仲になっておりましたのが、「利助」という男でございます。この男は、江戸では銭形の親分ほどでは有りませんが、結構知られた、目明し・岡っ引きの息子で、思うところあって流れの料理人になってまして、上方に修行の旅の途中でございます。「包丁一本、さらしに巻いて、旅に出るのも板場の修業」というやつでございまして・・・・
       
      「ねぇ、利助さん。あんた、ホントにあたいに惚れてんのかい?」
      「ああ、本当だとも。おらぁおめぇと一緒になれるんだったら、死んでもいいと思ってらぁ」
      「そうかい?でも、きれいにお化粧した、おしろいつけて紅さして、きれいな着物の芸者の「海老奴」が好きなんだろ?・・・遊びなんだろ?売れっ子芸者の海老奴をものにしてみたいって思っただけなんだろ!?・・・あたいは本当は「お浜」って名前なんだよ。おしろい落とした素顔のお浜でも、面倒みてくれんのかい!!??」
      「冗談言っちゃあいけねぇ、俺はなぁ、『一目合ったその日から、恋の花咲くこともある』ってちょっと古かったが、心底、この女と一緒になりてぇと思ったんだ。・・・・・それにしても、おめぇは、化粧を落とすと、ぜんぜん違う顔の女になっちまうのか?・・・ひょっとして・・・おめぇは・・・・・梅沢冨美男か・・・」
      「そんなことはないけどさぁ、あたしが言いたいのはさぁ、生半可な気持ちで、安っぽいくどき文句で、あたしと一緒になりたいなんて言ってんじゃ嫌だってことなんだよ。あたしとホントに一緒になるとしたら、それこそ命がけだよ。一緒になるったってお前さんにあたしを身請けするお金なんてあるわけないし、・・・だったらさぁ・・・いっそのこと、一緒に・・・死んで・・死んでくれるかい?」
      「あぁ、いいとも。おめぇと一緒なら死んでもいいや。・・・・・でもなぁ・・・『死んで花実が咲くものか』って言うじゃねぇか・・・・よし!・・・今の話で俺のかんがえもまとまった。・・・こうしよう、いっそのこと今すぐ、俺と逃げてくれるか?!」
      「うれしいねぇ、実は、その言葉を待ってたんだよ。・・・で・・どこへ、どこへ行こうってのさ?」
      「あぁ、おらぁな元々江戸の生まれだ。そろそろ帰って落ち着きてぇとは考えてたとこだ。やっぱり江戸がいいや。おめぇも江戸の生まれだったなぁ?」
      「え!?江戸へ帰れんのかい?うれしいねぇ」
      「あぁ、だがなぁ、駆け落ちで江戸までたどり着くってのは、至難の業ってやつだ。役人に顔が利いたおいらのおとっつぁんも、とっくに死んじまってるしなぁ・・・・・誰か、江戸で手引きをしてくれる大物でもいればなぁ・・・江戸へたどり着いちまえば、たどり着けさえすりゃぁ、一旗あげる仕事のあてもあるんだがなぁ」
      大阪から江戸への旅といいますと、今ではわけはありませんが、その当時では、今の「脱北」に匹敵するような大変な旅ですね。ましてや駆け落ちですから、通行手形とかが入手できるはずもありませんから、箱根の関所を越えられません。交通手段が不便なだけではありませんで、今で言えば、偽造パスポートで海外へ高飛びしようというようなことですから、大変なことですな。
      まぁ役人に袖の下でも使って、何とかするしかないのでしょうが、江戸に住んでる人から電報が来てて、「母危篤・すぐかえれ」とかね、そういう手紙ぐらいは持ってるという状況ぐらいはないと、どうにもなりません。
       
      「そういうことならね、江戸でね、たいそう出世した人をよく知ってんだよ。『京屋伝蔵』〔きょうやでんぞう)というんだけと、本屋の親方だったおとっつぁんが、『先々はきっと大物になるって、見込みがあるって面倒見てた物書きでね、あの頃は食うや食わずだったんだけど、今は『山東京伝』(さんとうきょうでん)っていって、たいそうな売れっ子だって、あたしをひいきにしてくれる絵草子屋の若旦那がそう言ってたよ」
      深川の質屋の生まれで、俗称は『京屋伝蔵』、『山東京伝』といえば、現在で言いますと超がつく人気流行作家というところでございまして、江戸戯作界における黄表紙・洒落本作家としては、その歴史に名を残す代表的な人物で、絵の方にも才能があり、あの南総里見八犬伝を著した、かの有名な曲亭馬琴は、この人の弟子だったという、大変な大物なのであります。
      この人は大変に気風のいい、江戸っ子気質の人だったようで、知らせを受けますと
      「そうか。世話んなった本屋の親方の娘の頼みとあっちゃあ、喜んで一肌脱ごうじゃねぇか。あの親方も三年前にあの世にいっちまったが、八年も前になるかなぁ・・・あんときゃ、下の連中や俺たちは助かったが、自分の可愛い娘を売り飛ばさなきゃならねぇなんざぁ、ひでぇ話もあるもんだと思ったが、あの頃のおれには何もしてやれなかった。よぅし、ひとつ恩返しといこうじゃねぇか」
       
      てなわけでございまして、江戸へ招いてくれようという、金持ちで超有名人の支援者が現れたわけですからね、役人たちに袖の下を使う、まぁありとあらゆる救援活動をしてくれまして、江戸への逃避行も何とか上手く運びまして、いよいよ江戸に入りまして、まずは二人で山東京伝のところへ挨拶でございます。
      「先生。利助でござんす。このたびは本当にありがとうござんした。何とお礼をもうしあげていいか・・・・」
      「ああ、おめぇさんが利助さんかい。ま、ま、頭を上げとくれよ。あたしもね。このお浜ちゃんが売られてくって・・・売られちまうって・・・・そう・・聞いた時にはなぁ・・・情けねぇってぇかなぁ・・・目ぇかけてもらって世話になってる親方に何もしてやれなかったんだよ・・・・何もしてやれねぇ、ふがいねぇ気持ちでもってよぉ・・・・はがゆいってぇか、悲しかったんだ。涙が出たんだよぉ・・・・・あん時ぁ・・親方だって、親方だって皆の前じゃあ平気な顔してたが、一人で泣いてたの、おれぁ知ってる。・・・・みんな・・・みんな辛かったんだよ・・・・や、でもなぁ、もっと辛かったのはお浜ちゃんだよなぁ・・・かんべんしてくれ・・・かんべんしてくれ・・・・このとおりだ。このとおりだ・・・・・・・
      まぁ、しばらくはゆっくりしてなぁ、後のことは何とかするから心配するんじゃねぇぞ」
      「へぇ、ありがとう存じやす。実は、これからのことについちゃぁ、考えがあるんでござんす」
      「そうか、あぁ利助さんは腕のいい板前だったよな。小料理屋でも始めるかい?」
      「へぇ、あっしも包丁一本で生きてきた男でござんすから、これから先もこの稼業でお浜と所帯を持つつもりでおりやす。だけども店を出すまで世話になるわけにもいかねぇ、なにしろ俺たちゃあ、世間のおきてを破った、お尋ね者でござんすから、ひっそりと、夜店の辻売りでもやりてぇと」
      「なるほど。屋台店でもなぁ、美味いものを出しゃぁ繁盛するに違いねぇぜ。・・・・で、どんな物を出すつもりなんだい?」
      「へぇ、大阪には魚を油で揚げた食い物があるんでござんすが、江戸じゃぁ見たことがござんせん。これをちょいと工夫して、屋台で辻売りしてみてぇと、こう思いやす」
      「ほう、そらぁ美味そうだな。まずは、おいらに食わしてくんな」
       
      さっそく試食会の開催でございまして
      「なるほどなぁ、海老やイカやキス、ハゼとかに粉をといたやつで衣をつけて油で揚げんのか???こんなのはじめてだい・・・うん・・・こりゃうめぇ。・・・このまったりとしたネタと衣と油とタレのコラボレーションが・・・・・何言ってんだかよくわからねぇが・・・・利助さん、お浜ちゃん、こりゃ売れるぜ!」
      「ついちゃぁ、先生にお願いがあるんでござんす。この料理の名前をつけてもらいたいんで。あっしは字は書けねぇんで、行灯の字もお願いします」
      「そうかい。あぁ、お安いご用だ。・・・・・うーん、お前さんたちは、急に現れてきたなぁ、・・・・天から降って来たみてぇだ。・・・・うん、天から「ぷらっ」とやってきやがった。天から「ぶらっ」とで、天ぷらってのはどうだ!?」
      そりゃいいやってわけでございまして、この山東京伝が行灯に「天麩羅」という漢字三文字をあてて、すらすらと書いてくれまして・・・・これからわが国ではこの料理を天麩羅というようになったのでございます。江戸前天ぷら屋台由来の一席でございまして・・・・ってここまできいてね、今、お客様の目がね、ほとんど疑いの眼(まなこ)でございましてね、うなづいてる人もいらっしゃいましたけれども、本日は教養のあるお客様ばかりでございますから、ご不審の念はごもっともでございます。私自身もテンプラというのは、ポルトガル語でね、安土桃山時代にキリスト教の宣教師が長崎で作って食べたのが始まりだという説をそのまま信じておりましたし、家にある広辞苑にもポルトガル語だと出ております。しかしながら、それが絶対正しいとは限らないんでございます。この他にも諸説ありまして、ポルトガル語ではなくて、寺院は英語でテンプル、そこからきているとか、油という字を今の天麩羅ってあの漢字三文字を当てたのをてんぷらと読んじゃったのが語源だとか、いろいろあって、この山東京伝が名づけたという説は、あんまりあてにならないかもしれませんが、古い本に載っていて、昔から知られている話だそうでございます。
      天麩羅の語源はいずれにいたしましても、「江戸前天ぷら屋台」はこれから大いにはやります。
      とにかく、江戸の庶民は外食が好きで、江戸前の新鮮なネタが豊富だったこともありまして、寿司の屋台はすでにたくさんあったということですが、この安くて美味い、野菜もある、庶民の食べ物として天麩羅の屋台もその後急速に江戸市中のあちこちに増えまして、元祖・利助の屋台も繁盛し続けたということでございます。
      『うまい・やすい・はやい。マクドナルドか吉野家か、花のお江戸のファーストフード。うまくてどうもスミマセン』っくらいのもんでございまして
       
      「お前さんはたいしたもんだねぇ、本当にありがたいと思ってるよ。おかげであたしは幸せだよ。それにしても、いつ、海老に粉つける料理なんか思いついたんだい?」
      「あぁ、実はな、おめぇのおかげなんだよ。おめぇは、海老奴って名前でお座敷に出てたじゃねぇか、その海老奴に『お前さんは、本当にあたしに惚れてんのかい、化粧したおしろいつけた海老奴をどうにかしようとしてるだけじゃぁないのかい?』なんてさ、俺に言ったことがあつたよなぁ」
      「ごめんねぇ、かんべんしとくれよぉ、あん時はさぁ、お前さん気ぃ悪くしたかもしれないけれどもさぁ、お前さんの了見を確かめたかったんだよぉ」
      「無理もねぇや。おめぇもさんざっぱら苦労したんだからなぁ・・・・あん時だ・・・俺もいろいろ考えてたんだ。海老におしろいだ。海老に粉だ。それでお浜とくりゃぁ、ぴーんとひらめいたってやつだい。江戸の浜に上がる海老だのアナゴだのに粉の衣つけて、油で揚げりゃぁ、と、あん時思いついた。でもなぁ、うまくいくかどうかはわからなかったから黙ってたが、江戸じゃあいいネタが手に入りやすいし、はなっから、この商売をやろうと思ってな、歯ぁくいしばって、二人で江戸に来たんじゃねぇか」
      「そうだったのかい。それにしてもお前さんは頭がいいねぇ、岡っ引きだったおとっつぁんの血筋かねぇ?」
      「ああ?おとっつぁんか。おいらはおとっつぁんにそっくりだ、いい跡継ぎだってよく言われたんだがなぁ、岡っ引きなんてのになるのがいやで、逆らって飛び出しちまった。墓参りして親不孝をわびてぇ心持だ」
      「ううん、お前さんは、腕利きの目明しだったおとっつぁんの後を、立派に継いでるじゃあないか・・・・・だって、毎日毎日、新しい、ネタを『揚げる』のが、商売だもの」
       

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